振り向いてもらえる幸せ
その後、イエスは出て行って、

レビと言う徴税人が収税所に座っているのを見て、

「私に従いなさい。」と言われた。

彼はなにもかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。

そして、自分の家でイエスの為に、盛大な宴会を催した。

そこには、徴税人や他の人々が大勢居て、一緒に席についていた。

ファリサイ派の人々や、その派の律法学者達はつぶやいて、

イエスの弟子達に言った。

「なぜ、あなた達は、徴税人や罪人などと一緒に

飲んだり食べたりするのか。」

イエスはお答えになった。

「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。

私が来たのは、正しい人を招く為ではなく、

罪人を招いて悔い改める為である。」

                    
                    ルカによる福音書5章27節〜
当時、徴税人は守銭奴と呼ばれ、嫌われ者でした。
しかし、イエスがレビに「あなたの家に泊まりたい」とおっしゃったのです。
レビはどんなに嬉しかったことでしょう。
今まで誰からも省みられたことのない自分に向かって、
イエスが振り向いてくださったことに。
自分が振り向いてもらえる幸せ。
イエスから「あなたの家に泊まりたい。」と言われたら、
私は素直に招き入れる準備ができているでしょうか。



試練を乗り越える勇気
試練に耐える人は幸いです。

耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、

いのちの冠を受けるからです。

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、

と言ってはいけません。

神は悪に誘惑されることのない方であり、

ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、

誘惑されるのです。

欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

                 ヤコブの手紙1章12節〜
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。

それは、患難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、

練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません。

なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、

神の愛が私たちの心に注がれているからです。

                   ローマ人への手紙5章3節〜

人は苦しくなると、どうしても楽なほうへ向かおうとしてしまします。
そこには色々な誘惑があり、つい手を出してしまいがちです。
苦しい時には自分を省みる余裕さえありません。
だからこそ、これらの句は、戒めとして、
いつも心に留めていたいと思います。
決して希望を捨てないために。

神の手を借りて
神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、

力と愛と慎みとの霊です。
                           
                            テモテへの手紙1章7節
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、

事を行なわせてくださるのです。
                           
                            ピリピ人への手紙2章13節
努力によって得るものは多いです。
ただ、自分の力だけではなく神の手を借りて、成されることのなんと多いことか。
自分一人の力ではないのだと、感謝しなくてはいけないのでしょうね。



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