尾州不二見原

巨大は樽から遠く富士山を望む構図。

尾州不二見原
尾州と現在の名古屋です。
この辺りから富士山が望めたかは未だ諸説あり、この周辺に樽を造る職人がいたかどうかも分っていません。
一説によれば、大樽は北斎のアイデアで描かれたといわれています。



名古屋市中区富士見町周辺です。

名古屋市中区富士見町

名古屋市中区には富士見町という地名があり、この辺りから富士山を見ることができたようです。

現在は住宅地でマンションが建ち並んでいます。


アクセス:地下鉄 上前須 徒歩5分

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西本願寺 西本願寺
正式名称は本願寺派名古屋別院といいます。
尾張徳川家3代藩主徳川綱誠の側室・梅昌院は
本願寺との縁が深く、享保15年に亡くなった際には御霊屋が奉られ、
侍女21人の墓もその回りに置かれました。
西本願寺境内 1817年に本願寺を訪れた北斎が
境内において、120畳敷の紙に
「大達磨」を描く興行を行ったそうです。
絵そのものは戦災で失われました。
名古屋城 織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城の跡周辺に、
徳川家康が九男義直のために築城したとされ
以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として
明治まで利用された。
加藤清正 清正公石曳き像
天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、
巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、
木遣り(きやり)を歌わせ民衆の老若を問わず
引き綱をとって運んだという説話があります。

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