虐げられる者の涙

私は再び、日の下で行なわれるいっさいのしいたげを見た。

見よ、しいたげられている者の涙を。

彼らには慰める者がいない。

しいたげる者が権力をふるう。

しかし、彼らには慰める者がいない。


            伝道者の書4章1節

日本は経済大国と言われ、みんなが結構生活を楽しんでいるように思えます。
しかし神は見えない涙が流れていると言われます。
神のいわれる虐げとは、全ての人の心に潜む罪の苦しみを指してます。
これはこの世の権力とか、お金のあるなしなどとは関係なく、
自分がどれだけの人を傷つけているのかと思います。


時という名の魔法

天の下では、何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。


             伝道者の書 3章1節

だから、明日のための心配は無用です。

明日のことはあすが心配します。

労苦はその日その日に、十分あります。


                 マタイの福音書: 6章34節〜

『時』は、残酷です。
そして『時』は味方です。
『時』は私達に魔法をかけてくれます。
いつか時が解決してくれるというのも事実だと思います。
毎日の営みの中で、私達は、『時』を味方に生きていたいと思います。


安寧を得るために

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。


                マタイの福音書11章28節

この言葉にどれだけ慰められたでしょう。
「休ませてくれるんだ。」と嬉しくなるのです。


私達は、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。

途方にくれていますが、行きづまることはありません。

迫害されていますが、見捨てられることはありません。

倒されますが、滅びません。

それは、主イエスをよみがえらせた方が、

私達をもイエスと共によみがえらせ、
 
恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、

神の栄光が現われるようになるためです。
 
ですから、私達は勇気を失いません。

たとい私達の外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

神は、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。


                       第二コリント人の手紙10章12節〜

人は、毎日揉まれて生きています。
めげてしまうことばかり。
神様は、どんなことにでも目に留めてくださるのだと思うと、
大丈夫という安心感を感じます。


家族のあり方

妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。

夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。

子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。

それは主に喜ばれることだからです。

父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。

彼らを気落ちさせないためです。


                       コロサイ人への手紙3章18〜21節

現在社会において、夫婦のあり方、子供に対する接し方が
少しずつ変わってきている様に思います。
しかし、根本は、互いを認め合い、尊敬しあってこその
家族だと私は思います。
私自身も、偉そうなことは言えませんが、
『愛』がすべてを解決してくれるのだと思います。


道しるべ

狭い門から入りなさい。

滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。

そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、、その道は狭く、

それを見出す者はまれです。


            マタイ1章13節〜

人はみな、つい近道を探してしまします。
簡単なほうへ、楽なほうへ。
それが後に苦しい結果になる場合もあります。
選択肢はたくさんあるのでしょう。
ただ、人生を歩んで行く上で、
時には困難な道を選ばなくてはならないこともあるのでしょうね。



目次  次項


inserted by FC2 system